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「コロナ禍」以後のディストピア未来予測とは?

「自由やプライバシーより安全が大事か?」国際的知識人の見解にご注意!

■コロナ危機で強化される国民監視体制を暗に支持?

ハラリは、以下のように書いている。

「新型コロナウイルスの感染拡大を食い止めるには、全ての人が一定の指針に従わなければならない。これを成し遂げるには主に2つの方法がある。1つは政府が市民を監視し、ルールを破った人を罰する方法だ。今、人類史上で初めてテクノロジーを使えば全ての人を常に監視することが可能になった。50年前だったらソ連の国家保安委員会(KGB)であっても、24000万人に上るソ連の全市民を24時間追跡することはできなかったし、そうして収集した全ての情報を効果的に処理することも望むべくもなかった。KGBは人間の工作員や分析官を多く駆使したが、それでも全ての市民に1人ずつ監視役を張り付けて追跡するのはどうしても無理だった。だが今では各国政府は生身のスパイに頼らずとも、至るところに設置したセンサーと強力なアルゴリズムを活用できる」

こう書いて、ハラリは、中国やイスラエルの市民監視システムについて紹介する。

たとえば、中国では、国民のスマートフォンを監視し、顔認証機能を持つ監視カメラを何億台も配置し、市民に関する個人情報を収集しつつ、市民に体温や健康状態の報告をさせ、新型コロナウイルス感染者の早期発見に努め、感染者に近づくと警告を発するアプリまで開発されているとか。

イスラエルのネタニヤフ首相はイスラエル公安庁に対し、新型コロナの患者を追跡するために通常はテロリスト対策にしか使わない監視技術の利用を認めたとか。

さらに、ハラリは、監視技術はすさまじい速度で発展しているとして、以下のように書く。

こんな現実はすでに知っているとあなたは思うかもしれない。政府も企業も近年、これまで以上に高度な技術を駆使し、市民を追跡し、監視、操作しているからだ。だが、うかうかしていると、新型コロナは監視の歴史における重大な転換点になりかねない。これまでは大量の監視ツールの配備を拒んできた国でも、こうした技術の活用が常態化するかもしれないだけでなく、監視対象が「皮膚の上」から「皮下」へと一気に進むきっかけにもなるからだ

この「皮膚の上」ではなく、「皮膚の下」とは、たとえばマイクロチップスなど市民の皮膚の下に注入すれば、その市民の測定データが蓄積され、当局に送信されるということらしい。

アルゴリズムで分析すると、当該人物の健康状態ばかりではなく、どこにいたか、誰と会っていたかまで把握することが可能になる。たとえば、何かのビデオクリップを視聴している際の体温や血圧、心拍数を計測できるようになれば、どこで笑い、泣き、心の底から怒りを感じたかまでわかるようになる。

つまり、企業や政府が市民の生体データを収集し始めれば、企業や政府は、私たち自身よりもはるかにしっかりと市民を把握できるということだ。つまり、市民を操作できるということだ。

■自由やプライバシーより安全が大事か?

どうも、今の新型コロナウイルス危機の世界においては、感染拡大阻止という大義名分のもとに、市民の自由とプライバシーの侵害は許容されるべきだというのが世論であり正論であるようだ。安全と自由のどちらを選ぶかと言えば、安全であるのが世論であり正論であるようだ。

私自身は、自由やプライバシーを守るほうが大事であると思う。人間はどっちみち、病気や事故で誰でも死ぬ。死自体は阻止できるものではない。しかし、自由やプライバシーが侵害される事態は阻止できる。

そもそも、この危機は一度では終わらない可能性が高い。第二波、第三波があるかもしれない。新型コロナウイルスは非常に変異が多いタイプのウイルスらしい。https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20200310-00166933/

パンデミックは簡単には収束しない。「スペイン風邪」は1918年から20年にかけて2年間も流行した。速水融の『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006)によると、日本では、スペイン風邪は2回にわたって流行した。『前流行』(1918年11月~1919年6月)、と『後流行』(1919年12月~1920年6月)である。一方、スペイン風邪の日本における流行を第1回、第2回、第3回の3つに分けている資料もある。https://bunshun.jp/articles/-/37210

つまり、緊急事態だから、市民の自由やプライバシーの侵害はいたしかたないという事態が、一時的措置ではなく、なかば恒常的にされてしまうことがありえる。

前提として、一般市民には政府やメディアや専門家が言うことが事実かどうかはわからない。ただ、事実だと信じるしかないから信じるだけだ。ほんとうは、市民の自由やプライバシーの侵害をする必要もないが、市民統治の観点から市民監視体制の強化をしておくほうが便利だと政府が判断し、それが実践されたとしても、それを見破ることなどできない。

■未来予測という呪縛

しかし、いろいろな識者が、コロナ危機に関して「人命が大事なので、監視体制や政府の権限拡大が必要」という見解を提示すると、それらが重なると、それらの見解が、単なる個人の識者の見解以上のものに思えてくる。

ハラリの「コロナ後の世界に関する警告」は、新型コロナウイルス危機以後の世界は、こうなってはいけないという警告文である。一見すれば、そうである。

しかし、「こうなるかもしれません」という見解を通り越して、「こうなるでしょう」という予言じみた言葉になり、ついには、「こうなることは規定路線ですから、心構えをしておいてください」と告げるような響きを帯びていると、私は感じてしまう。

こういう言説が、あちこちから出てきて流通することにより、私たちは、ディストピア的未来のヴィジョンを、抵抗するほうが間違っている類の倫理的既定路線として必ず起きるものとして錯覚し、受け容れてしまうのかもしれない。

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藤森 かよこ

ふじもり かよこ

1953年愛知県名古屋市生まれ。南山大学大学院文学研究科英米文学専攻博士課程満期退学。福山市立大学名誉教授で元桃山学院大学教授。元祖リバータリアン(超個人主義的自由主義)である、アメリカの国民的作家であり思想家のアイン・ランド研究の第一人者。アイン・ランドの大ベストセラー『水源』、『利己主義という気概』を翻訳刊行した。物事や現象の本質、または人間性の本質を鋭く突き、「孤独な人間がそれでも生きていくこと」への愛にあふれた直言が人気を呼んでいる。

 

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